1. 東京オリンピックから始まった健康スポーツ産業の歴史
1964年の東京オリンピック後から70年代にかけて、全国各地にスイミングスクールが開講され、それをきっかけに1人のコーチ・インストラクターが複数人に技術指導するという日本独特のスポーツスクールがテニス・ゴルフ・スキー・スケート・ダンスなどの種目に広がり、スポーツクラブに発展していった。また、トレーニングジムにおける有酸素運動と筋力トレーニング、スタジオにおけるグループエクササイズ、インドアプールにおけるスイミングスクールなどを付帯した総合スポーツクラブに進化していった。
1970年前後にセントラルスポーツやピープル(現コナミスポーツクラブ)が、スイミングスクールに併設する形を中心として、トレーニングジム・スタジオ・プールの3機能を備えたフィットネスクラブを開設し、ルネサンスはインドアテニススクールに併設する形で、複合業態のフィットネスクラブを開設し始めた。
さらに、80年代後半のバブル経済期になると、トレ―ニングジムとスタジオのみに特化したクラブも含め、毎年200軒以上ものフィットネスクラブが各地にできる開設ラッシュ期を迎える。
90年代に入り、バブル経済が崩壊すると、一時的に調整期を迎えるが、同年代後半には会員種別・料金体系を見直したり、コストマネジメントを徹底したりすることによって復調した。
2000年代には、株式公開やM&A等が進み、業界再編が始まった。又2000年前後から少子高齢化が目立ち始め、青少年を主なターゲットにしていたスイミング・テニス・スキー等のスクール単体事業は縮小していった。反対に健康を重視し始めたシニア世代がトレーニングジム・ヨガ・スイミングプールでのウォーキング等に注目し、複合フィットネスクラブは年々会員数を増やし、発展していった。
フィットネス業界は2006年に、その市場規模が4000億円を初めて突破。会員数も400万人を超えた。さらに女性専用の小規模サーキットスタジオ「カーブス」や若年男性にフォーカスした「エニイタイムフィットネス」、女性に受け入れられた「ホットヨガ」「暗闇バイクフィットネス」などが加わり、この右肩上がりの傾向は2019年まで続くことになる。
2. コロナ禍の直撃を受けた健康スポーツ産業
健康の維持・増進のために、継続的な運動や健康的な生活習慣、人とのつながりが欠かせないことは、世界中のいたるところで数々の調査がすでに証明していて、論をまたない。2020年の東京オリンピック・パラリンピックの開催も決まり(後に2021年に無観客で行われる事になった)、政府の成長戦略における「健康寿命の延伸」にかかる施策の推進、学校におけるダンス・武道の導入、マラソンやトレッキングのブームなど、フォローの要因がそろい、健康スポーツ産業の未来は明るく期待された。
しかし、この期待は2019年末から世界中を襲ったコロナ禍により打ち破られた。まず、施設の中で一緒に運動する事による感染を恐れる会員の方々の休会や退会が目立ち始め、2020年4月5月の緊急事態宣言により、一定規模以上のスポーツ施設は休業をやむなくされた。2か月間はほぼ収入が途絶え、再開可能となった後も復帰を辞する会員が多く、特に打撃の大きかったフィットネス業界では、2020年度の全施設合計売上が2019年度より35.4%減少した。
固定費の多い業態の為、ほぼ100%の事業者が大幅な赤字に陥った。把握できる倒産や廃業は2020年度で26件に上った。個人営業のフィットネス施設を加えると廃業したフィットネス施設は2~30%に上るのではないかと思われる。ちなみにドイツのマーケットは半分になり、アメリカのマーケットは58%が消失したと言われている。
日本の場合は、業界団体が経済産業省と話し合い、感染予防のガイドラインを作成し、各クラブが厳しく遵守する事により会員の方々も徐々に復帰し、2021年度には過半数の企業が黒字に転じたが、コロナ前の業績に戻るには数年はかかると思われる。
3. 健康スポーツ産業におけるホスピタリティの位置づけと重要性
フィットネスクラブを例にとると、お客様が求めているのは、
- 運動する事の爽快さと、心地よい疲労感の継続
- 運動した成果としての健康データの正常化、ダイエット等による体型の改善
- 長期的な生活習慣の改善により病気の予防の実現、生きがいのある人生
などである。
それまでフィットネスクラブの商品やサービスにあまり興味を持たなかった人が興味を持つようになるためには、そうなるきっかけをつくるフロントエンドの商品・サービスとそれを体験した時の快適感、納得感を得やすいイメージの訴求、機能訴求が必要になる。例えば機能改善のためのストレッチ、体調改善のためのホットヨガ、あるいは体型維持・健康維持のためのサーキットトレーニングなどの魅力的なエントリープログラムである。加えて、総合業態のクラブなら、施設やサービス対応などの快的な要素の訴求も大切になる。エクスペリエンス(体験価値)の事前訴求とも言える。
入会して2~3か月目くらいまではスタッフによる人的なサポートがとても大切になる。お客様を名前でお呼びしてエントリープログラムを提供し、身体的にも精神的にも「楽」になってもらえるようにサポートすることが必要となる。また、その変化をできるだけ「見える化」して感じてもらうことも必要となる。スモールグループ形式でのエントリープログラムを時間帯を決めて提供することによって、スタッフだけでなく一緒に参加するお客様同士の関係性もつくることができる。
ここでは、体のこと、運動のことをお客様自身が興味を持って楽しく学べるようにしていくことが大切になる。そして通うこと自体が楽しくなるようにしていく。この部分はできるだけ形式知化(マニュアル化)していくことが大切で、ここを曖昧にして属人的なサービスの提供に留めていてはいけない。
お客様が徐々に運動を継続できることに自信を持てるようになってきたら、「会員個人」の目的に応じてクラブはさらにふさわしい運動(バックエンドとなる商品・サービス)や生活習慣などを紹介していく。より「成果」を実感できるようにしつつ、スポーツやフィットネスのあるライフスタイルに良いイメージをもってもらうようにする。適切なアドバイスが提供できれば、スタッフとの関係性もより良くなっていく。トレーニングギアやサプリメントなど、フィットネスライフを充実させる商品・サービスもスマートに提案していくことで、顧客満足と顧客生涯価値がともに引き上がっていくようにもする。加えて、グループレッスンやイベント、クラブインクラブなどを通じて、クラブのコミュニティ化をさらに進め、クラブライフをより充実したものになるようにしてロイヤリティを高めていきたい。
これらの対応を実現していくには、相応の人材が必要になる。そうした人材を育てるには次の要件を備えているような研修が必要であろう。優先順に示すと、①指導力、②コミュニケーション力、③ビジネス力である。
ホスピタリティは、このうち主に②コミュニケーション力に相当しようが、フィットネスクラブの場合は、お客様がクラブを安心・安全で居心地がいい場所と感じ継続して通ってもらえるようにするためのコミュニケーション力が一人一人のスタッフに求められる。そのためには、スタッフが共通価値観をもって活き活きとお客様に対応できるようにすること、さらにお客様にとって近い存在になること、またお客様同士で交流を楽しんだりするような演出をしていくことなども求められる。
かくしてお客様にとって、「運動」をきっかけにして、フィットネスクラブが一つの「コミュニティ」になり家庭や職場とは別の第三の場となれば、むしろ物理的な運動を介して健康になる事以上に人間同士の心の交流により、精神的な健康も定着してくると思われる。
あるフィットネス企業では、これを実現するために、①企業理念・行動指針を理解し、②ホスピタリティの概念と大切さを学び、③お客様や一緒に働く仲間から好印象を持たれるコミュニケーションスキルを習得する「スマイルスタッフ研修」の実施や、方針に基づいたさまざまな成功事例の共有、クラブサークルやイベントの拡充などに取り組んでいる。また、スタッフのホスピタリティの水準を客観的に知り、課題化して最適化していくための取り組みをするため、運営にミステリーショッパーや顧客アンケートなども採り入れている。
執筆者
日本ホスピタリティ推進協会 理事長
株式会社ルネサンス 代表取締役会長
斎藤 敏一